菅野健の“いま、なにつくってるの?”第4回の登場は、根本有華(ねもとゆか)さん。
2011年3月3日(木)より3月15日(火)まで、アカデミックライフのギャラリースペースで個展を開催します。3月5日(土)にはライブペイントがおこなわれる予定です。
直木賞作品をはじめとする書籍の装画や、風景画集『アマレット』など、どこか懐かしく美しい世界へと誘ってくれる作風が魅力の根本さん。創作活動の裏側には、どのような想いがあるのでしょうか?
太陽のきらめきと、空の青に包まれた湘南の海辺でのインタビューです。

菅野:東に江の島、西に富士山。鵠沼海岸駅から商店街を抜けて、浜辺まで色々な表情がありますね。
根本:ボディーボードでよく訪れていますが、海は私にとって、インスピレーションを与えてくれる大切な場所なんです。
根本さんにとって、海は幼い頃から身近な存在だったのですか?
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生まれは栃木県で、父の転勤のために子ども時代に引越しを7回経験しました。海が近くにあったのは幼児期に水戸に住んでいた頃。でも数年前にボディーボードをやるようになって初めて、温度のぬるい潮水にゆっくりと、長時間たゆたう心地よさに目覚めたんです。ものすごく安心感に包まれている感じ。
きっとお母さんの胎内にいるような、守られている安心感なのかもしれませんね。
根本さんは幼い頃から引越しや転校を重ねてきたということですが、子ども時代からやはり絵を描くことが好きだったのでしょうか?
大好きでした。実は、1歳7カ月の時に描いた絵が残っています。3歳頃の絵が一番上手で、自分でも驚いてしまうくらい。あれはもう越えられることはないと思います。無垢なのに、匠なんです。


色をたくさん使っていて、形をとても良く捉えている。のびのびした、本当にいい絵ですね!一枚一枚大切に取っておいてくれたお母さんも素晴らしい。
いま思うと、本当に愛情を注いでもらって育ったことがわかります。でも10代の頃は、私自身はどちらかというと感情にふたをして、周りの大人を助けるために少し無理してしまう子どもでした。幼い頃は絵を描くことで空想の世界に没頭でき、心から楽しめましたが、成長するにしたがって、周りの要求に応える“手段”になってしまうこともあった気がします。
- 過去の自分を受け入れる
大人に喜んでもらいたいがゆえに頑張ってしまう、しっかり者のお姉さんだったんですね。
日本大学芸術学部美術学科に進んでからは、どんな勉強をされていたのですか?
ビジュアルコミュニケーションデザインコースで、グラフィックデザインを学びました。いま振り返ると、その選択の背景にも“早く仕事に結びつけて親を助けたい”“親の意思に応えたい”という気持ちがあったんです。10代の私は、自分のやりたいことよりも、周りの大人の要望を叶えようと必死でしたね。
モーツァルトも、お父さんに与えられたレールの上を進んで、その枠組みから解放された時に能力を飛躍させた。能力は、ある時期には抑えつけるような必要があるのかもしれません。圧縮するから、爆発する。
確かに、能力の面では感謝しています。私が絵を描き始めた背景には、もともと絵が大好きだった母の影響が大きいですし。でも将来を選択する際は、やりたいことをやるより、とにかく“就職しなきゃ”という意識が強くて、よくわからないまま就職活動をしていた気がします。

大学卒業後は、靴メーカーに就職されたそうですね。
靴の形が大好きなので、靴の絵が描けるのがいいなぁと思ったんです。デザインや販売の仕事を経験しましたが、ただ、勤務と並行して自分の好きな絵を描き続けられないのがとてもつらかった。退社後、イラストレーションの塾に通い始めて、ようやく本格的に絵を描き始めることができました。



